ヨット部の歴史


 大阪大学体育会ヨット部は昭和 9 年(1934)大阪帝国大学医学部にヨットクラブとして発足し、当初はA級ディンギーやクルーザーなどで活動していました。やがて工学部からも加わり、運動競技部としての道を歩み始めました。戦後再開された全日本インカレでは昭和 28 年(1953)全国で 4 位の好成績を収め、その後も次々に上位入賞を果たし黄金時代となりました。その中でも昭和38年(1963)の全日本インカレ準優勝は、大阪大学体育会ヨット部の歴史で最高順位となっています。

 しかし初代の西宮浜艇庫が昭和 39 年(1964)台風により崩壊し、昭和 41 年(1966)西宮浜の新艇庫に移りました。黄金期の反動は激しく部員の数も戦績も乱高下しました。昭和 44 年(1969) には部員数が12 人に激減しましたが、そんな中でも昭和 47 年(1972)関西インカレ総合優勝と 470 級全日本インカレ 3 位を獲りました。 部員数と実力は徐々に回復への道を歩み始めました。

 その後は 53 年(1978)、55 年(1980) と 57 年(1982)の 3 回にわたり国立七大学戦(七帝戦)優勝、56 年(1981)には全日本インカレ総合 3 位を獲得しました。関西インカレでは常に上位を占めることが出来ましたが、全日本での戦いは年々厳しくなっていきました。

 平成 7 年(1995)に阪神淡路大震災により西宮浜の艇庫は全壊しました。約2年後、 3 代目艇庫(現在の艇庫)が新西宮ヨットハーバーに完成しました。平成 25 年(2013)にはスナイプクラスで全日本インカレ10位(国立総合大学1位)を取るものの、部員数は低迷、一時5名と減少しましたが、皆様からの熱い支援を受け、部員数も回復、艇の状況も格段に向上しました。平成29年(2017)、30年(2018)にはスナイプクラスが、平成31年(2019)には両クラスが全日本インカレに出場しました。令和4年(2022)には、全日本インカレへ出場を果たし、15位という成績を収めました。現在プレーヤー19名・マネジメントスタッフ5名で全日本インカレ優勝を目指して活動しております。